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August 25, 2005

絨毯爆撃と精密爆撃(1)・・・大都市・地方都市無差別爆撃の大義は?

  ホントに夜中に仕事をしてるとNHKを見ることが増える。
  特に、原稿の〆切り前や本業の仕事の〆切り前とかは、書斎で仕事など出来るものでなく(←だったら何のための書斎なんだ?というツッコミはだめよ。落ち着いて仕事をするのが書斎なんだから。平時と戦時は仕事場は別なのね(^^;))、ダイニングテーブルに資料をおっ広げてノートパソコンに向かうことになるんだが、集中力もせいぜい1時間、頭を休めないと執筆作業は続かない。歳だなあ(^^;)
  豊かな世の中の象徴なのだろうが、夜中のテレビ通販番組が集中する時間帯などはNHKでアーカイブとか夏休みスペシャルみたいな形で再放送分とかをやっててくれるとホントにホッとするのだ。
  いろんな不祥事があったとしてもNHKと同じようなスペシャルとか報道関係、ドキュメンタリー関係の番組を作れる技術と製作者を民放は一定数確保し続けているんだろうか・・・などと余計な心配をしてしまう。
  ・・・ということで今日は(今夜か今朝か微妙だなあこの時間)

NHKスペシャル「そして日本は焦土となった 都市爆撃の真実」
を見てしまった。
  観終わって思ったのは、
こういう番組は今の多くの民放には作れまい。
  そして、深く考えなければいけないだろうと思った。
  日本人として、

戦後60年たった今、今だからもう一度検証すべき事柄は多いと思う。アメリカの公文書で公開になるものも今後引き続き出てくるだろう。前から、ろじゃあも心に引っかかってたのがアメリカによる「空襲」の話であった。
  ろじゃあが、「空襲」の話を聞いたのは母親からである。東京大空襲の時に弟達と逃げまどっていて、目の前に落ちた焼夷弾が不発(燃え上がらなかったそうだ)だったので死なずに済んだ。あの頃のことは思い出したくないんだけれどもついつい頭に浮かんできてしまうことがある・・・小学生の時にこの話を聞いたときは、単純に怖いなあと思いつつ、あまり実感はなかった。

もしその時に「この母親」が焼夷弾で焼かれていたら僕自身もここにはいなかったかもしれないのだ・・・

という実感が湧いたのはもう少し大きくなってからである。
  その後、ろじゃあは、少年マガジンにたまたま掲載されていた漫画を見て少し意識が変わる(終戦特集だったのではなかろうか)。掲載号も作者も思い出せないが、原作者は早乙女勝元さん、作品名は「火の瞳」である。これは悲しかった。恥ずかしながら「荼毘」という言葉はこの作品で知った。その後小学校の図書館で探してみたら原作本(リンクには一応理論社版をリンクしておいたがろじゃあの記憶だともっと古くなお且つ講談社の学習雑誌の傑作選的な全集に入っていたような気がするのだが・・・でも、この「火の瞳」というロゴには記憶があるんだよなあ・・・図書館に入っていたので布かクロース装で製本されていたのかもしれない。同時期に川端康成の「級長探偵」という短編を同じような場所で古い全集で読んだ記憶がありこれと混濁している可能性がある。いずれにしろ歳をとるのはいやなもんだなあ)が、しかもあの当時ですら古ぼけた本であったのでそれを読んだ。東京大空襲のイメージが子供なりに増幅されることになった。そのとき引っかかってたのが、
なぜ子供やお母さんが爆弾や焼夷弾で死ななければならないのか

であった。その後成長するにつれ、日本史の勉強の中での「一項目」になりつつもこの頃の印象は依然として喉に引っかかり続けてきたような気がする。
  ところが、最近、この「空襲」についての「喉に引っかかった骨」を思い出す機会があった。以前、これもNHKだったと思うが、イギリス空軍によるドイツに対する無差別爆撃の計画を遂行した当事者の話を見たことがある。そうか、戦勝国の中でも、人道的見地から市民を巻き込んだ無差別爆撃については、当時軍内部でも争いがあったのか・・・組織による意思決定を経由する限り意見対立は当然ありうるだろうという当然のことが、新鮮に聞こえたのである。では、日本の大都市への無差別爆撃はどうだったのだろうかという疑問が今度は心の中に停滞することになった・・・。
  というところに今回の番組である。観ない訳がない。
  今回は、同様の日本本土への「絨毯爆撃」の実施について米空軍内部から軍関係の施設を中心とした「精密爆撃」が本筋であると人道的立場から上層部とワシントンへ具申し続けた米軍将校の話を糸口に、一般市民を対象とした絨毯爆撃に大儀はあったのかということを真正面から採りあげている。こういう番組は今の多くの民放には作れまい。ついついパソコンでメモをとりながら見続けてしまったのであった。以下備忘録としてのろじゃあのメモを中心に・・・(つづく)
※参考までに「火の瞳」の英語による解説→ここをクリック

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Comments

いろいろ叩かれるNHKではありますが、私もやっぱり番組の製作能力に関しては「スゴイ!」と思うことは多々あります(民放はバラエティ多すぎ!)。批判は批判として、問題点を世に問う姿勢は崩さないで、頑張って欲しいです。

Posted by: 悪童 | August 25, 2005 02:45 PM

悪童さんへ
お久しぶり、いらっしゃいまし。
こういうドキュメンタリーを作れなくなったらその時こそNHKの存在価値をろじゃあは問題にしたいと思っています。
ところで、悪童さんは、文中で紹介した「火の瞳」はお読みになったことありあますか?ろじゃあにとっては「はだしのゲン」も脳裏から離れない作品ですが、実はこの「火の瞳」の方が、いまだに「爆撃」とか「空襲」ということばが出てくるとちくちくと心を刺激してくるんですね。
ホントに当時は、同じようなシチュエーションで父ちゃんと母ちゃんが死んじまったらどうしよう・・・って感じたんですよ。しかし、ウン十年前の学校の図書館のこと、自分でもよく覚えてるとちょいとびっくりしてます。
また遊びに来てください。ではでは。

Posted by: ろじゃあ | August 25, 2005 03:00 PM

私もこの番組を見ました。
本来のNHKらしい力作だと思います。

非戦闘員に対する攻撃がどのように意思決定され、正当化されていったか、というのは現在のテロ問題にも共通する問題だと思います。

TBさせていただいたのは、日本がポツダム宣言受諾後、玉音放送の前という「空白の1日」に太平洋戦争最後の空襲にあった母親の話です。

戦争も組織活動である以上、すべからく手順を踏んだ意思決定が必要というのは理解できるんですけど、一個人にとってみれば、生きるか死ぬかのall or nothingなんですよね。

Posted by: go2c | August 25, 2005 11:47 PM

go2cさんへ
どうもお母様の貴重なご体験のエントリーのTBありがとうございます。ホントに意思決定を行うプロセスとその効果によって、一生を左右されることがあるというのは組織の成員としてはやりきれないところがあるのも事実だと思います。常日頃、企業のコーポレートガバナンスとかコンプラとか研究してる部分もあるのですが、政府と国民との間の「ガバナンス」の問題だな、こりゃ・・・と今回の番組を見て改めて感じてしまったろじゃあなのでありました。
また、遊びに来てくださいませ。ではでは

Posted by: ろじゃあ | August 26, 2005 10:34 AM

ろじゃあ様
「火の瞳」、早乙女勝元さんの著作ですか。恥ずかしながら、読んだことはなく、ついでに懺悔すると、「わだつみ・・」も「夜と霧」も読むと耐えられなくなり、最後まで読破したことは、ありません。
「夜と霧」は、新刊が出ているのですね。某大手の本屋で売上のベスト3になっているというので、たまたま行った本屋で開いたところ、旧版で口絵に載っていたアウシュビッツの写真の部分が掲載されていませんでした。多少、形を変えても読み継がれていくのは、いいことなのかなと思いましたが・・・。

空襲の場面を扱った漫画というと、最近読んだところでは「奈津の蔵」で、長岡空襲の時、主人公が2歳の娘を失うシーンがありまして、「こういう思いで戦後も生き続けた日本人って、実は多かったんだろうな」と胸に迫るものがありました。

この種のテーマになると長くなりそうなので、また是非、ゆっくりと!

Posted by: 悪童 | August 26, 2005 10:37 AM

悪童さんへ
エントリーの(2)で書こうと思っているのですが、6大都市への空襲の後の地方都市への空襲が何故行われたのか・・・についてNHKの番組ではとんでもない理由付けが明らかにされています。ホントにそんな理由で地方都市への空襲が「付け加えられた」のか・・・と思うと、遺族をはじめ当事者の方はやりきれないだろうなと感じました。という訳でこの点は(2)で。
>「こういう思いで戦後も生き続けた日本人って、実は多かったんだろうな」と胸に迫るものがありました。
あの当時はいまほど「心の病」とか「心の傷」について今のような枠組みが浸透してなかったこともあるかもしれませんが、それぞれの日本人が大なり小なり「心の傷」を内側に包み込みながら歯を食いしばりながら生きてきたのが日本の戦後だったのではないかとろじゃあは思っております。この歳になってようやくその辺の心情(父親や母親の世代の心情)が判るかもしれない環境が個人的に整いつつあるというのが実際です。
・・・だからねえ、いまの20歳±7歳ぐらいの人たちに多くを求めるのは彼らにとって酷というもんだというのは頭ではわかってるんですけど・・・ついついナウシカネタを書いてしまったのでありました(自分のエントリー自分で解題してどうする)。そんで30歳±3歳ぐらいの連中には、終戦直後に同年代だった人たちの苦労をせめて知ろうとした上で発言をして欲しいなあと感じていたりしておる次第です(ちょっと歯切れが悪い(^^;))。
>この種のテーマになると長くなりそうなので、また是非、ゆっくりと!
←是非是非というところでございます。

Posted by: ろじゃあ | August 26, 2005 10:54 AM

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» 昭和20年8月14日 [一寸の虫に五寸釘]
実は日本がポツダム宣言を受諾したのは8月15日ではなく8月14日です。  国立国会図書館の[ポツダム宣言受諾に関し瑞西、瑞典を介し連合国側に申し入れ関係] というサイトを見ると、 8月14日11:00に東郷外務大臣から在スイス加瀬公使宛てに以下の電信が発せられています。  米英蘇支四国ニ対スル八月十四日附日本国政府通告 「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル八月十日附帝国政府ノ申入及八月十一日附「バーンズ」米国国務長官発米英蘇華四国政府ノ回答ニ関聯シ帝国政府ハ右�... [Read More]

Tracked on August 25, 2005 11:47 PM

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