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August 05, 2005

十人十色、法務部いろいろ(第一回)・・・「法務部」という概念

十人十色、法務部いろいろ(予告編)で触れていたように、ろじゃあにとっては「法務部」という存在は、非常に興味深いテーマであります。原隊復帰に際して、その本格的復帰第一作目はこの法務部についてのお話について、ろじゃあの体験的なお話を絡めて進めて行きたいと思います。いわば、『ろじゃあの体験的「法務部」の作り方』って感じです。法務部の組織内での位置づけやこれから法務部をおつくりになることを検討なさっている方々、ともかく法律関係の仕事を社内のどのセクションで行うようにさせるか悩んでおられる方々のご参考になればと思います。

法務部というイメージ
  法務部という部署から出てくるイメージは、実際に社会でお仕事をされている方々からしても様々かも知れません。「法務部」に属する方々同士で話をしているときでも、何かやってる仕事がお互いにちょいとずれがあるかもしれないなあなんて思うことも結構あるものです。
  ろじゃあが一般企業の法務部に配属されたときも実はろじゃあの意識の中の「法務部」とその企業での「法務部」との間では、そういう「ズレ」が存在していたのであります。実際にそういう方々とお仕事をしたり問い合わせをしたりする場合にも、その「ズレ」の存在を無視してしまうとお互いに???ということになる可能性もあったりするわけであります。
ろじゃあがこの道に入る際のエピソード
  ろじゃあは、いろんな事情があって、働き口を探しておりました。ところが当時法律関係の修士課程修了前の段階でしたので、就職先は相当限られていたという状況にありました。当時は(もう15年も前のことです)社会科学系の大学院から総合職で上場企業に入るってのはかなりハードルが高く(というかもろ敬遠されがち)だったわけですが、理系の修士の方々ですらそれなりに間口は限定されていて、社会科学系では無理だろうと皆に言われていたもんであります。
  しかし、ろじゃあはターゲットを法務部に定め、いろいろと回ってみることにしたのであります。当時は商事法務研究会あたりで企業法務の方々が活躍しているという動きがあったり、「企業法務部」という冊子が出ていたりしたころであります(←別冊NBLだったかなあ)。そんな感じで「法務部」を持っている会社を中心にいろいろ自分で情報を集めてみたのでした。そんでいくつかの会社で話を聴いてもらったのですが、そこでちょっとしたカルチャーショックが・・・。

「法務部」とは言ってもいろいろなんだ
  「法務部」という看板の部署があっても、よくよく話を聴いてみると必要とされている人材についての資質が微妙に異なるわけです。A社さんではアメリカで訴訟を抱えているので、アメリカ法と訴訟法が出来る人間が欲しいといわれましたし、B社では契約書管理が仕事の中心なので面白くないよと言われたり。またある会社では、現場を知らない人間をとってもしょうがないのでと露骨に「早く帰りなさい」という顔をしたおじさんが出てきたり(^^;)。よくわかったのは、上場企業といえども「法務部」があるとは限らないということ。そして、何か大事があって「法務部」が作られたという会社が結構あるもんだなあということでした。後から、会社に入って判ったことですが、ろじゃあがまわった「法務部」の多くがこのような何らかのきっかけがあって作られていたらしいです。
「拘束」された某社
  某教授の話で、某○○○○は社会科学系の修士を持ってると決まりやすいといわれたので検討してみたところ確かにそういう傾向はあるらしく、ところがその職務の性格上全国を転勤で回るのが前提という話が途中で出て、う~んと悩んでいたところに某社の「拘束」にかかりました。
  いまの若い方はわからないでしょうが、ろじゃあが就職まわりした頃はまさにバブルの絶頂期。上場企業による新卒学生の囲み込みが激しく、内定を出した学生については平然と「拘束」が行われました。要は他の会社の2次試験とかに行かせないようにする訳です。
  大学院の修士で就職戦線に参入したろじゃあですので、4卒の時に一応ちゃんと就職まわりの手習いぐらいやっておけばよかったのでしょうが、まったくその辺がわかりません。まわり始めたのも7月入ってからだったような気がしますので相当ずれてたんですねえ。んで、そのときの就職担当が結構面白い人たちが多くて、「お前みたいな変わった奴がこれからの俺たちの業界には必要だ」ということになって、トントン拍子で拘束までいっちまったというのが実際でありました。ちなみに○○○○についてはその業界にも色気があったろじゃあとすると相当もったいなかったなあと思うこともあったのですが、現に当時はいろいろな方から「アホかおまえは」といわれたものでありました。いま考えてみると、ろじゃあは「人生逆張り」の相があったようでありまして、それに加えて、「お前を見込んで」とか「おまえが必要なんだ」とか言われると断れないタイプでありまして、その分、仁義とか矜持とかすぐ持ち出す手合いですので、声をかける方もそれなりのリスクを負わなければならないという点で結構大変なはずなのですが(^^;)、信頼した相手に対しては相当意気に感じてしまう傾向がある訳です。この業態自体は非常に地味な業態であったのですが、あるエピソードも含めて、社会的にも意味があると納得した上での入社ということになったわけであります。
  ちなみに、たぶん、仮にそちらに流れていたら数年持たずに辞めていたような気がします。タイミングとはおそろしいものであります。
「法務部」に配属が決まる際の当事者の認識の「ズレ」
  そんなこんなで、他の大卒のおにいちゃんたちと一緒の総合職採用で某社に拘束されたろじゃあは当然入社前の新入社員研修も同じ扱いで受けることになるわけでして。後からいろんな方にこの話すると、「それあり得なくねえ?」といわれるのですが、当時はそんなこと気にしている余裕もなく、まあ、楽しけりゃいいかなって感じもあったわけであります。そんで、研修最後の時に配属先が発表されることになるのですが、その前に新入社員の希望も人事に伝えられることになっており、当時は結構希望が入れられる場合もあったらしいと後から聴いたりしたんですね、これが。
  んで、結果は、なんと「法務部」配属。これはうれしかった。ただ、入社に至るまで人事でろじゃあのことを見ててくれた先輩が後でろじゃあに教えてくれた話が印象的で。「法務部」の概念の相対性と企業組織での位置づけについての非常に興味深い示唆でありました。
  どうやら、ろじゃあの法務部への配属については、相当もめたらしいのです。当時の人事担当役員が相当寛容な方で、「そんなに一生懸命法務部で仕事がしたいっていうならやらせてみればいいじゃないか」という擁護派、片や、受け入れ先の法務部の方で現場がわからない修士のにいちゃんに仕事が出来るのかという懸念が若干示されたようで(とはいえ、拒絶ではなくむしろ心配してくれてたようです)。そんで、ある時、その人事の先輩が後でささやいてくれたのでありました。

「お前がやりたいという仕事はいまの「法務部」にはないかもしれないぞ」

突然の指摘に、ろじゃあは一瞬ひるんだのでありました・・・・(つづく)

  


  

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