« 貸金業規制法・出資法・利息制限法改正問題ふりだしへ | Main | 新庄にとっては最高のフィナーレだったんだねえ »

October 26, 2006

高校のカリキュラムの柔軟性?・・・コンプライアンスの問題と考えると遵守すべき枠組みをどう考えるのか

今回の一部進学校における世界史・日本史・地理がらみの単位不足問題。
地方の公立高校の「進学校」?を中心にまだ広がりがとまらない様子です。
これ第一報がでてきたころから難しい問題だよなあと感じておりました。
マスコミの報道を見ていても、指導要領にどう書いてあるのかが実際に詳しいところがわからないのと高校のカリキュラムの柔軟性がそもそも認められているのかどうかの点についての関係通達とかの枠組みとの関係はどうなってんのかなあ・・・って感じていたところです。
ろじゃあが高校生の頃は、理系クラスの人間も、一年生の時に地理B、2年生の時に世界史と日本史を強制的に(^^;)履修させられ、3年生の時に理系・文系で科目選択って感じが浸透し始めたんじゃなかったかなあと思うんですけど、現在は理系クラスと文系クラスの振り分けが実際には2年からなんてことが公立高校でも認められていたのかどうか。
この辺のカリキュラム自体の「柔軟化」に対してどんな取り扱いがなされていたのかとかがわからないと、今回の問題がちょっと矮小化されてしまい今後検討されることになるであろう生徒たちの救済の是非や程度についての議論においても妥当性がちょっとゆがんでしまう可能性が出てくることはありはしないか?というところが気になるところです。

よく、あることなのかどうかわかりませんが、可能性として進学校・中堅校で社会的評価を高める観点から進学率やら合格先大学を高める?ために無理な方針がとられるということがあり得たのかどうか・・・・。
報道を読んでて若干違和感を覚えたのが、生徒たちからの要望があったからという理由付けの部分でして。
そりゃ、生徒たちも進学希望であればなるべく受験科目以外の負担が少ないほうがいいという気持ちはあるでしょうけど、ホントにそれが「先」でその希望をかなえてあげようという「温情」から先生たちが今回のような対応を取った・・・という場合と、社会的評価の視点が「先」である場合、はたまた周辺「同位」程度の他校が理由はともかく今回のような「慣行」をとっているという理由で上記いずれかの理由であるいは「横並び意識で」今回のような対応をとった場合・・・とか、結構温度差もあり得るのではなかろうかと。
そのような差異を踏まえて最大公約数的な対応をとることになるとすると・・・・今の生徒については何らかの形で補習対応という手立てがまあ妥当ということになるのかもしれません。
ただ、実施時期をどうするかというのは、現状の枠組みの中で各高校の裁量ということなるんですかねえ。
ある高校は、3月の卒業までに単位認定できるぎりぎりのスケジュールで対応するかもしれませんし、冬休みに対応するかもしれませんし・・・・受験先に高校から提出している卒業見込み証明書などの効力との関係で問題ない範囲であれば今の制度内で一番生徒たちに影響が少ない選択肢を現行法の枠組みの中で問題のないタイミングで対応するということは各高校が考えることになるんでしょうからねえ。
今回の件は、企業法務の観点からすると、公立高校におけるコンプライアンスの問題ということになるんでしょうけど、コンプライアンスということからすると、では同じ高校卒業認定を同じ枠組みで行っているであろう私立高校においては今回の問題は同じ基準で考えることになるのかそうではないのか・・・とか考えていくと派生論点は結構あり得るんですよねえ、たぶん。
いずれにしろコンプライアンスの前提となる遵守すべき枠組みの明確な枠組みがわからないことにはなんともコメントしずらい問題なのではなかろうかと思ったしだいでございます。
ただねえ、・・・将来ある生徒のお話であるということは解決策の枠組み選択の際にはずすべきではないだろうなあと強く思うと同時に指導要領どおりに履修してきた他の受験生との平等性の確保とかってお話もでてくるんだろうなあとも思う次第で。
ね?これまじめに考えれば考えるほど結構難しい問題でしょ?(^^;)
この後者の視点をあまりに強調しすぎると影響が大きすぎるかもしれないというのがこの問題の難しいところではなかろうかと。
あと、今年の3年生についての対応枠組みと去年までの卒業生についての対応枠組みとの関係とか考えるとあまりに厳格な枠組みの選択は社会的な影響が大きすぎる可能性もあるかもしれません。
その意味ではある程度、皆さんが「大人の議論」をせざるを得ないかもしれないのではなかろうかと。
100%筋論ではなく、まあ、70%ぐらいの妥当性でナントカするしかないよねえ、今回は・・・・と多くの人が思えるぐらいの落としどころで対応せざるを得ないんじゃないかという意見が出てきてもろじゃあは無下には反対できないよなあ・・・・って感じております。
あと・・・ホントに素朴な疑問なんですが・・・・この手の問題って

理科の科目ではどうなのでしょうかねえ。
いずれにしろ、広がり次第と今後選択される解決策の枠組み次第では、場合によっては訴訟ベースの話にもなりかねないかもしれない点も含め、引き続きコンプライアンスの問題としてウォッチでございます。

|

« 貸金業規制法・出資法・利息制限法改正問題ふりだしへ | Main | 新庄にとっては最高のフィナーレだったんだねえ »

Comments

こんばんは. 視点が異なるので内容的にかみ合いませんが同じテーマについて書きましたのでTBさせて頂きます.

法律的な部分では, 新聞各紙はあまり取り上げていないようですが, これは「履修漏れ」などではなく意図的な隠蔽もしくは偽装なので, 校長などの責任問題だと思います.教育を与える義務がある立場の人間がそれをしなくても罰せられないとすれば法治とは一体何なのかと疑問に思ってしまいます.

Posted by: night_in_tunisia | October 27, 2006 12:49 AM

ご無沙汰しております。ろじゃあさんほど深い考察はしておらず、依って立つスタンス・視点も若干違うようですが、久々に関連する記事を書きましたので、トラバさせていただきます。

Posted by: taka-mojito | October 27, 2006 01:23 PM

night_in_tunisiaさま
いらっしゃいませ。
当事者の責任の問題はおっしゃるとおりだと思います。
今回の件は、この責任問題をどうするかということと、危機管理の問題として関係する三年生の方々の将来をどういう枠組みで考えてあげるべきか、そしてその枠組みと既に卒業している人達との関係をどう扱うか等のバランスをとらないといけないので、ろじゃあもエントリー書くときは相当悩んでます。
またご意見お願いいたします。

taka-mojitoさん
いらっしゃいませ。
母校が・・・ちゅうのはちょい複雑な心境ですよね。
ろじゃあの母校はどうだったのかなあ・・・。
今回の問題、それぞれの高校の地域での位置づけとか校風、管理職の方々の方針とか色々複雑な要因が絡まってる可能性があり、同じ「クロ」でも一義的に善悪白黒の濃淡をつけるのが難しいところもあるように思います。
それに、制度的要因といっても、中央と地方とかって枠組みでも結構深刻な問題を内包しているところもあるのではないかとろじゃあなんかは思ってんですけどねえ。
マスコミの方々の報道においては、その辺のより大きな視点との関係での掘り下げというのも必要なのではなかろうかと思いますけどねえ。
何日の何時現在で全国で○○○校、計○○○○○人が対象です・・・とかって数字競うって姿勢には正直????が飛び交っていたりするんですけど、せっかくなら問題解決のための知恵ももう少し出してあげてもいいのではないかと思うんですけどねえ・・・。
マスコミが評価されるいいチャンスだと思うんですけど。
またご意見お願いいたします。

Posted by: ろじゃあ | October 31, 2006 07:41 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 高校のカリキュラムの柔軟性?・・・コンプライアンスの問題と考えると遵守すべき枠組みをどう考えるのか:

» 高校での履修"漏れ"の件と大学教育事情 [徒然なる数学な日々 at FC2]
受験を理由に履修したことにして実際は授業を行ってこなかった学校が多数発覚した. 以前「何でもかんでもシステムのせいにするのはケシカラン」的なことを書いたが, これはまさにシステムの問題だろう. asahi.com: 新... [Read More]

Tracked on October 27, 2006 12:43 AM

» 「必修」科目の幻想 [ふぉーりん・あとにーの憂鬱]
日本では高校での世界史未習問題が大きな広がりを見せているようですね。 色々な論... [Read More]

Tracked on October 27, 2006 01:17 AM

» 高校の必修科目未履修問題(まさかぼくも・・・) [Temperamento Latino]
日本では高校の必修科目未履修が大きな問題になっているようですね。 ニュースを最初に読んだときにまず思ったのは、「必修科目先にありきじゃあだめなんだよなあ」ということです。先生や生徒からすると必修科目にあるから仕方ないから授業をやるというパターンは非常に多いように思います。もちろん、高校を卒業したという資格を認定する以上、一定の基準は必要だと思いますが、本当に必要な教育とは何かという検討や先生や生徒の視点というのを無視したカリキュラムを要求していることが、ことの遠因ではないかなどと思っていたわけです... [Read More]

Tracked on October 27, 2006 01:19 PM

« 貸金業規制法・出資法・利息制限法改正問題ふりだしへ | Main | 新庄にとっては最高のフィナーレだったんだねえ »