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October 16, 2006

いつの時代もどの業界でも・・・この手の話はあるんだねえ

ベッカムとマクラーレン監督の代表に招聘するかどうかについての確執?については、以前のエントリーでも書いたけど、世のサラリーマンのご同輩もこの手の問題の厄介さというのは他人事ではないと思っておられるかもしれない。
こればっかりは、天災と考えざるを得ない場合もあるし、たぶんにどちらかに問題がある「人災」の場合もある。
人事部の担当者からすると会社の中で同じ問題が起こると頭の痛い問題らしいことを昔聞いたことがある。
YahooNewsベッカム嫌い暴露され代表監督ピンチ

欧州選手権予選クロアチア戦の惨敗やRマドリードMFベッカムの代表外しで批判の渦中にある、イングランド代表スティーブ・マクラーレン監督(45)が追い込まれた。同監督がマンチェスターUのコーチを務めた99年からの3年間、ベッカムとともに所属したGKボスニッチ(無所属)が、ベッカム外しの理由は性格の不一致だと暴露。またトラブル処理専門家として雇ったクリフォード広報も、愛想を尽かし辞任した。
 英ラジオ局トーク・スポーツの取材に、ボスニッチは同監督とベッカムの仲が悪かったと告白した。
 ボスニッチ「2人はウマが合わなかった。どちらかと言えばマクラーレンに問題があった。でも今や彼は代表監督。たとえ選手と性格が合わなくても、世界最高のMFがメンバーにさえ入らないのはおかしい」。
以下は、ある意味では古きよき時代のお話と言えるかもしれないが・・・

今回のマクラーレン監督が行ったような世代交代を理由とした選手の不起用というやり方はある意味では表向きの筋の通し方としては正攻法といえるものであると思われる。
今回のお話を読んで、何の脈絡もないといえばないのではあるが、日本の企業におけるお話に頭が向いてしまった。
実際の企業における上司と部下の「性格の不一致」の問題では、もう少しややこしいやり方が昔は結構あったようである。
上司の資質にたぶんに依存するところが大きいと思われるのだが、部下がどうも気に食わないという場合に露骨に批判したり冷遇する上司というのはある意味では戦いやすいところもある。批判の筋が悪ければ悪いほど、外から見た場合に客観的な評価の対象となり得るので、人事部さえしっかりしていれば(実はこの前提が結構企業により差があるかもしれないのだが)露骨な報復人事というのは回避される可能性が高いかもしれない。
ホントにタチが悪いかもしれないのは、もう少し策を弄してくる場合である。
ろじゃあが聞いたことがあるのは、キャッチボール(あるいはタライ回し)とホメ殺しパターンである。
これをうまくやる上司というのはある意味では管理職としては昔はうまかったのかもしれない。
前者は、同期の人間あたりの気心の知れたある程度の人事権を持つ人間との間で定期人事異動の差異の管理職からの希望の中にその人間をリストアップしてもらっておくというやり方を使う。
実際にある部署から仕事の関係で○○クンがほしいという形をとる場合も、彼の専門分野をわざと人事部への希望リストの人材の属性のところに入れておくというやり方もある。
人事部としても特定の部署から職務の関係で必要な人材としての希望が出ているということで対応する可能性が高くなる。
これがキャッチボールの程度を超えて複数のセクションで順次受け入れ希望を出すことを約しておいたりする場合には、これはある意味ではタライ回しということになるかもしれない。
上記の場合はいずれも、管理職の仲間内ではそれぞれがある程度の余裕がある場合に成り立つお話かもしれないので、今ではちょっと成り立ち得ないお話かもしれないが、古きよき時代にはあり得たお話だと思う。
これらの場合、対象となった人間はある意味では大変である。
経緯がそれぞれに共有されているので人事評価が高くなるというのは受け入れ先の管理職の資質がある程度以上でないとあまり期待できない場合が多いのではないかと思う。
これも旧来の人事システムで若手についてあまり大きな差をつけないというのが前提のシステムならばあまり問題は顕在化しないし、当の本人も気づかない場合すらあるかもしれない。
ホメ殺しパターンは、どちらかというと管理職同士での通謀がなく(^^;)、むしろ他のセクションや人事関係セクションに対する上記管理職サイドからの詐欺的な風合いを持つものである。
やり方は簡単。
ともかく、その馬の合わない部下のことを、外でほめまくることである。
ただし、ほめ方がちょっとゆがんでいる。曰く、

今のセクションにおいておいてはもったいない彼は○○の分野でものすごく会社に寄与すると思う。

とか、
本人は○○が天職だと思っているようだが、△△が得意な僕からみても、彼は△△の資質がものすごく、ぜひ△△本部で長期的な養成の対象にするべきだ
とかの表現でともかくホメまくるのである。
といっても、不自然なほめ方をしないのがこの辺の人間のすごいところであり、対象となった人間は少なくとも会社の人事システムの中では程ほどの風評を得る形でほかのセクションに異動することになる。
ただし、その異動先で期待された能力を発揮できない可能性が高かったりするので(△△の部分が彼の不得意分野であったりするとその可能性は高まる。人事部が管理職の上記評価を精査せずにシステムを運用しているような場合にはそのリスクは高まることになる)、ある意味ではものすごくいやらしいやり方ということになるのだが・・・・。
まあ、若い人材については、それがかえって幸いして自分でも気づかない能力を発揮できる場合もあったりすることも多かったかもしれないが、今のように成果主義が導入され、専門性もある程度若いときから重視されるような体制では、上記二つのモデルも管理職サイドからは牧歌的な方法ではやりづらいところがあるだろう。
自分自身の人材評価能力と管理職としての部下の掌握能力を疑われかねない可能性も高くなっているだろうから。
まあ、いずれにしろ、人事システムの要である人事部の人間は、上記二つのパターンについては、大体あり得ることを前提に、管理職の掌握もしていることが多かったのではないかと思われるが、その中で、実は管理職たちも取締役から同じような見方で自分の知らないところで褒められているかもしれないという話をある機会で他社の人間から聞かされた時に、日本の企業の人事の奥の深さというか・・・こういう安定均衡的な?人事システムを構築できる企業とできない企業の格差というものは確実にあるだろうなあと10年ぐらい前の段階で了知し、今に至っている。
だからね、・・・成果主義がどうだという議論を聞いたり読んだりするときにその論者がこの辺の「機微」をどの程度踏まえているか、あるいはわざと表現を回避しているかなんて、読み方をするぐらいにひねちゃったりしてるのかもしれないんだけどね、ろじゃあは。
まったくこういう世の中のお約束?を知らないで生きていくというのもある意味では幸せだったのかもしれないなあと思うことが時々あるのだが、昔、まな板の上でじたばたしていた者としては、こんなことを考えることがあるとは思いもしなかったんだけどなあ・・・・。
ちなみに、上記類型の中で程度の著しいものについては、たぶん現在の企業におけるコンプライアンスの枠組みでは、パワーハラスメントの問題として俎上にのぼってしまう類型があるのではないかなあと思うところもありますな。
ましてや、タライ回し型で、特定の人間に対する嫌がらせについて意図的に関係者が共同しているような場合については共同不法行為による損害賠償請求の対象となる場合するらあるかもしれないとも思いますで。
できの悪い(と自分が思っているだけかもしれないですぞ)部下をうまく使いこなすあるいは教育していくのも管理職の職責のひとつ。
これを最初から放棄して自分の目の前からいなくするための上記技術を磨く能力があるなら・・・・ほかにやることがいくらでもあるだろうになあ・・・・と昔は思ったものでございます。
今の世の中、この辺についてはどうなってんですかねえ・・・・。

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