鉄腕稲尾和久・NHK「その時歴史が動いた」:「人間最後はばかになりきったものが勝つ」・・・このろくでもない状況になった世の中で噛締めるろじゃあ
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たまたま見たNHKの「そのとき歴史が動いた」。
稲尾和久氏の話をしていたのだが今の若い世代の方々は知らない方も多いだろうなあ・・・。
「神様、仏様、稲尾様」と言われて276勝、昭和36年にシーズン最多勝42勝。
44年に32歳で現役引退。
入団当時バッティングピッチャーだったとは知りませんでした。
3年目の昭和33年130試合のうち72試合に投げて33勝。
すごい成績だなあ・・・この年西鉄は3年連続優勝ということで。
稲尾選手は、当番でない日でもベンチに入り、三原監督が「投げられるやつ(投手)はいないのか」というセリフを読んで「自分が投げましょうか」と申し出ていたという・・・これは法務の人間に限らずサラリーをもらって働く人間は少なくとも若い時は見習わないといけないことだよなあ・・・。
当時の働く人たちが地道にひたむきに頑張り続けて働いて勝利を挙げる稲生選手に自分たちを重ねていたんだということもろじゃあの世代だとわからなかったです。
そして
そして西鉄の伝説の日本シリーズの三連敗の後の4連勝による日本一の年。
その昭和33年は長嶋選手入団の年で。
神宮のスターの長嶋選手と庶民と等身大の稲尾選手。
そういう構造もあったんだね。
西鉄3連敗の間、二試合に投げた稲尾投手は「長嶋対策」を考え続けていたというんだからこれもすごい。
そして、西鉄の伝説の逆転優勝につながるということで。
長嶋は打つ直前にわずかに肩を動かしている
内閣に投げると方が開く
外郭になげるとぐっと肩が入る
つまり、打つ直前に狙い球をきめる、
投げ込む球種が決まっている手を離す位置で何とかしないといけない
そして考えた対策が・・・ノーサイン投法だったという。
第四戦は先発稲生。
作戦実行でノーサイン投法を試してみる稲尾・・・打ち取っていった稲尾。
打つ気配を決めたときに投げる球を決めた・・ってそんなことできるんだ(@@;)。
肩が開いたらスライダー、肩が入ったらシュート。
これも天才鉄腕稲生だからできた技なんだろうね。
そこから西鉄の怒涛の反撃が始まり三勝三敗のタイに。
神様仏様稲尾さまという叫び声がこのとき出たんだってさ。
そして運命の7試合目
シリーズ登板六試合目で五連投の稲尾選手・・・すげえ。7回巨人の攻撃が始まる前に球を落とした稲尾。
ここまでで500球を超えていた。すでに握力がなくなっていたのだそうで。
球が握れないのか・・・代えてもらわんでいいかという捕手の問いに「一球投げさせてくださいダメなら自分で監督に頼んで代えてもらいます」。
そして投げた一球は前と変わらぬ球威で。
不思議な力が自分を後押ししてくれる。
6対0の9回裏、もう手の感覚がなかったそうで。
先頭は長嶋選手。
打った長嶋の打球は左中間を抜け・・・ランニングホームランを許すことに。
あと一人あと一人と呟きながら投げる稲尾。
10月21日午後3時56分セカンドフライでゲームセット・・・三連敗のあとの四連勝で奇跡の日本一。
投げた球数、実に578球。怪物だ。鉄腕だな・・・。
どうして握れない球を投球できたんだろう・・・心身の限界を超えたところに何か別のなにかがあったということでああるのか。
最後に次の言葉が紹介された。
人間最後はばかになりきったものが勝つ
そうでなくてどうして人の上を行く技術、体力、
修羅場で踏ん張る体力が得られるだろうか
こんな100年に一度起こるか起こらないかの出来事が経済・金融の分野で起こってしまったこの時期に、鉄腕稲尾のこの言葉はものすごくろじゃあの心に響くのである。
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