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February 10, 2009

官有物払下事件と明治十四年の政変・・・かんぽの宿のお話はじっくりとまじめに考えてみたいです

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娘から官有物払下事件について教えてくれと言われたので日本史の教科書観てご覧といいつつ、そういえば、かんぽの宿の話の関係で官有物払下事件のことを引き合いに出すお話とかも結構出てるみたいだなあ・・・それがらみかな?と思っていたところであります。
まあ、夜中にそんなことを言われてもやれることには制限があるので、まあネットで検索してみようかと思いつつ、グーグルさんに活躍していただくと・・・あらま、ブログベースでこの件に触れてるものが結構ありますなあ・・・。
と同時に、そういう流れの中でひとつ、興味深いブログのエントリーを発見いたしました。
官有物払下と黒田清隆(山と蟻の間)
黒田清隆のこの一件についてのかかわりについて、

こんなことを書いておられます。

官有物払い下げについて、黒田の職に対する誠実さまで疑われているのには、見るにつけ言いたいことが溜まっていました。
実はこのブログ自体は、ろじゃあは初めて拝読することになったわけでして。
当ブログは、「天下大変―大鳥圭介と伝習隊」サイトの雑記として掲示板形式で記してきたものを移行したものです。
とのこと。
この国を作らんとする方々の中で当時のテクノクラート?の方々が何を思い何を行ってきたかについてのしかも特定の個人にフォーカスしたサイトというわけでこれだけでも少しときどき読ませていただこうかというところがあるのですが・・・。
本線に戻りまして、注目したのは、上記エントリーの中に出て来るいくら投入していくらで払い下げたかのバランスの前提となる投入金額についての言及です。
この開拓使払下の問題について概要を記した上で、
開拓使払い下げの問題点は、以下に集約されるかと思います。
1) 1400万円の投下に対する38.7万円の払い下げ額
2) 無利息30年賦の返済条件
3) 払い下げ先が黒田長官と同じ薩摩出身の五代友厚の会社である
4) 払い下げ先の会社に開拓使の部下の安田貞則が入った
5) 以上に対して自由民権運動家が攻撃を行った
として検討しておられます。
この1)の部分についてろじゃあはそうかあ・・・と思ってしまったところもありまして。
少し長いですが引用させていただきます。
一緒に考えてみてくださいませ。
まず、1)の1400万円の投入に対して39万円という売却額に対して、特に非難されているようです。
(ちなみに、1万円(明治前期)≒1億円(現在)ぐらいの感覚でいいと思います)
そもそも1400万円というのは、払い下げを述べるのにそこら中に出てくる数字ですが、何を勘定しての数字なのでしょうか。
払い下げ額と比較する対象の事業費としては、あまりに巨額です。
なにせ、開拓使十カ年計画で提出された10年間の総予算が1000万円です。
そして、開拓使が明治2年の設立から明治14年の廃止までに行われた一般会計の総額が、実績で、1813万円です。
一方、同じ期間の開拓使の事業費総額に至っては、463万円にすぎません。(「明治経済史大系5」P64-65)。
ちなみに、明治11年で、内務省・工部省・開拓使の全てを含めて行われる殖産興業のための諸事業を一括した予算総額でも、1250万円です(「明治財政史」8巻P131-134)。

五代らへの払い下げが行われたのは開拓使事業の一部に対してです。札幌醸造(後サッポロビール)など別の者に払い下げられた事業もあります。農商務省などに引き継がれた事業もあります。特に幌内炭鉱・幌内鉄道など開拓使の巨大事業は、当時は官営のまま残されています。なので、こと、開拓使が該当する事業に投入した額と売却費を比較する場合、「投入」はこの事業費総額の463万円の額より、よほど小さくないとおかしいです。

払い下げ額と比較するなら、その事業への投下資本か、当時の財産評価額でしょう。開拓使の事業総額から見て、払い下げ対象事業は、投下資本でもせいぜい100万円ぐらいではないでしょうか。

どこをどう勘定したら、開拓使の数多い事業のうちの数事業にすぎない払い下げ対象事業の投入が、省の13年間の人件費から運営費から設備投資費からお雇い外国人の給料から何から何までぶっこんだ省の累積の会計に匹敵するような額にまで積みあがるのか、誠に不思議です。

これを読んでいただいた上で、残りの問題についても少し本文を読んでいただければと思います。
ちなみに、この筆者の方がこのエントリーを立てられたのが2007年ですから、今回の問題を視野に入れたものではないと思います。
ろじゃあの立場は置いておいてのお話ですが、
今回のかんぽの宿問題との関係で官有物払下事件がパラレルに取り上げられるべき話なのか
ということについては、ろじゃあは十分参考になるだろうなとは思ったのですね。
ただ、
単にあの時とおんなじだ・・・という形で単純に取り上げるべきではない
と思います。
上記ブログの筆者の方が、投入価格と払下価格のうち投入された価格について疑義を呈していることとはどうもベクトルが今回は逆ですよね。
そもそも安すぎるのではないか
という点が批判の理由のひとつになっているのですから。
では評価額が安ければよいのか・・・。
その点は現代の枠組みの問題として、
現代の評価の枠組みにおいての今回のかんぽの宿の評価額の算定方法とその是非
について考えてみたほうがいいのではないかと思うのです。
明治の時代の事件のほうでは、そもそも投入額がそんなに大きいはずがないのではないかという点に言及されているのですが、
今回の件ではなぜ評価額が低かったのか・・・赤字事業だったからなのかそれ以外の理由があったからなのか
というあたりについての検証が必要になってくるかもしれません。
こちらの件は現代の事案なんですから(明治の事件で減価償却とかって制度的に考慮されてたんだろうか?とかついつい考えてしまいます。コメント欄で言及されてる方がおりますね)。
さらにですねえ・・・ろじゃあとしては
官有物払下の頃の官営工場等の民間への移行の志
と、
今回のかんぽの宿の民間への移行の志
が一緒のものかというのも改めて考えてみたい視点ではないかと思います。
これは移行の枠組みを作る当事者の方と、その制度により移行を受け入れる方と両方について考えてみてみたいなと思います。
どうでしょうか、上記ブログのエントリーを御読みになって、当時の官の再度で民間への移行を考えていた方々の「志」を百パーセントマイナスで見ることができるのかどうか・・・ろじゃあはちょっとこの辺が揺らいでしまったところがございます。
そして、日本の企業にとっては逆風となっていた当時の関税の制度の中で
敢えて引き受けた「当時の」民間の方々の志
というのは、どのようなものであったのかなあとも考えてみたいとも思ったのであります。
歴史の表層を掬うことは受験ベースの知識の習得で済むのだろうと思うのですが、実際に日本の将来を考えて今回のような問題に自分なりの評価を与えるというためには生半可な歴史認識はかえって危うさを伴う可能性もあるのかも知れないなあと考えた次第であります。
ですからね・・・
まじめに上記開拓使官有物払下事件の内容を掘り下げた上で今回のかんぽの宿のお話を考えていくと・・・今回の件の問題性というか論点いうのは明確になる部分というのもあるのかもしれないなあ
と感じた次第なのでありました。
その意味では今回のブログの筆者の方の視点というのはろじゃあ、大変参考になりましたです。
もう少し御勉強してみたいと思います。

そんでまあ、上記払下事件の顛末については歴史の教科書を見ていただきたいのですが、これをきっかけに大隈重信が政府を追われ、彼は野にくだり、立憲改進党を作ると共に、少し後に(早稲田大学の前身である)東京専門学校を創立することに繋がるということを不勉強なろじゃあは思い出したでありました。
そういえば明治十四年の政変というのは頭にわずかに残っているなあ・・・と思いつつ、これだから何歳になっても歴史とか政治経済についての御勉強は続けていかないといけないんだよなあ・・・と再認識したのでありました。

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