« ロッテの挑発ポスター中止? | Main | 出版不況と古本市場 »

May 12, 2009

「神田川」と「狼と香辛料Ⅴ」における「『優しさ』が怖い」

このエントリーはろじゃあに頼まれて相方がエントリーしております。

相変わらず更新が安定しないですいません。
ろじゃあです。

数十年の月日を経てようやくわかったのかな?と思うことがあるんだなぁ・・・。
だいたいろじゃあはそういう経験は何のだが、今回もしかしたらそれに該当する経験をしたかもというお話。
みなさんはかぐや姫というグループをご存知か。
・・・ろじゃあの世代より上なら

フォークの世界で思い浮かぶ歌手やグループは?
と聞くと大体世代がわかってしまう部分もあるのだが(苦笑)、そのかぐや姫がメジャーヒットを飛ばした曲として記憶されている曲のひとつが「神田川」だろう。
この曲、ろじゃあも文化祭とかでのライブで人様の前で歌った記憶があるのだが、実はそのころから曲の歌詞のなかで意味がどうもしっくりとこないところがあった。
それは、

後半の方で、

若かったあの頃、何も怖くなかった
ただ あなたの 優しさが 怖かった
この最後の部分がわからなくて。
なんで付き合っていて相手が優しいのにそれが怖いんだろうか・・・中学生の頃のろじゃあはそう思ったんですな。
さすがに歳をとるにしたがってなんとなくこの部分の言わんとするところはわかったつもりになっていたんだけれども、実はやはりしっくりとはしていなかったのですな。
相方との付き合いは実は相当長いので、その間についてもこの部分で不安に思ったこともなく。
ろじゃあが相方に優しいのは当たり前で・・・という考え以上のことは考えずに関係が続いてきたし、その件で相方から論難された記憶もなく。
むしろ食えるようになるまでには相方に食わしてもらった経験もあるし、生活もその頃は余裕もなく(今だって決して余裕があるとは言いがたいところもあるなあ)、だからこそ、仮に優しさというものがなかったらということは考えても、優しさがあることでそれが怖いと感じられるのはどういう場合なんだろうか・・・ということについては悩まないですんだところがあったわけで。
ろじゃあなりに考えていたのは、いつまでもその優しさが同じ形で継続するわけではなく、だからこそ眼前の優しさは儚く、それがあるが故になくなったときのことを考えると怖い・・・という意味合いなのだろうかなあと思っていたのですな。
そこに・・・たまたまなんだが、読んでいた本の中にこの「優しさ」が「怖い」というくだりが出てきたのですな。
ここで問われている優しさが怖いというのはもう少し別の視点で考えるべき構図になっておるのですな。
さて、「神田川」での怖い優しさの構図と重なる部分はあるのだろうか・・・と夜中に考えてしまった訳で。
以下のようなくだりを読んでみてくださいませ。
「じゃが、どんなにおいしいご馳走も、同じものばかりを食べておればどうなる?飽きるじゃろう?しかも厄介なことに、わっちらが新しい楽しさを得ようと思えばどんどんやり取りを過激にしていかなければならぬ。その階段の先に何があるか、わかるじゃろう?」
手をつなぐだけで動揺していたのが、抱きつかれても慌てなくなり、手の甲にあっさりと口付けをする。
その先にあることを指折り数えてみれば、すぐに愕然とすることがわかる。
自分たちにできることは、長い時間に対してあまりにも少ない。
手を替え品を替え、あっという間に打ち止めだ。
階段を上り続けることはできる。
しかし、その階段がいつまでも存在するとは限らない。
「やがてわっちらは求めても満たされず、すべての楽しかったやりとりはただ風化し、色褪せた楽しさだけが記憶の中に残りんす。それこそ、であった当初は楽しかったのにな、と。」
・・・
「じゃからな、わっちゃあ怖かった。この楽しさの加速を摩滅させる、ぬしの・・・」
水差しからぶどう酒を一口飲んで、自嘲するようにホロは言った。
「優しさが」
支倉凍砂「狼と香辛料Ⅴ」274頁以下(電撃文庫)
このシリーズについては何回か書いてるのでろじゃあの読者の方もエントリーはご存知だと思うのですが、ロレンスという行商人と狼の精であるホロがホロの北の故郷を捜し求めるファンタジーなのでありまして、二人の関係も相棒からだんだんと伴侶の方向へ流れる可能性に言及される場面で彼女が立ち止まるくだりなんですな。
この発想というのは・・・今考えるとわかる気がするのですから不思議です(苦笑)。
ただね・・・幸いなことにろじゃあはネタで困るには相当の時間が必要になるなぁ・・・と思ったりもするのですな。
ただ、この優しさの問題というのは確かに関係性次第では伴侶と認め合うまでの間では出てくる可能性がある問題なんでしょうな。
いや、そのようなレベルに至らないまでも、あり得ることかもしれませんな。
「幸せであり続ける、物語」という言葉を筆者は文中で用いてます(273頁)。
そして彼女に、「そんなものはありゃせん」と言わせています。
だから、ほどほどのところで「楽しい旅」を終える・・・という選択。
なるほど、と思うと同時に、ろじゃあはやはりどうも納得がいかない。
そして筆者も結局、この部分について、ロレンスに次のように言わせております。
「望んでも手に入らないかもしれない。だが、望まなければ絶対に手に入らない。」
(同346頁)
この筆者はまだ若いようなのですが、とにかく言葉の使い方というか会話の組み立て方が非常にうまいのですね。
ろじゃあははっきり言って舌を巻いてしまいます。
ろじゃあが、神田川の歌詞とこの作品の内容を比べてしまうというのは歳をとっていればこそというところもあるのでしょうが、そんな立場から見ると、この作品シリーズは、来るべきろじゃあたちの子供たちが巣立って言った後の伴侶との関係をどう考えるべきかという視点にいろいろな光を当ててくれているように思うのであります。
先ほどの「幸せであり続ける、物語」という言葉の絡みで、次のようなくだりがあります。
これにふれてこのエントリーを終えましょう。
世の中には大きく分けて二つの物語がある。人が幸せになる物語と、不幸せになる物語だ。
しかし、本当なら物語は四つなければならないが、残る二つは、人間が編み出すにはあまりには難しく、また、それを理解するには人間というものはあまりにも不完全だ。
それを創ることができて、また読める者がいたとしたら、それは神に他ならず、実際、教会は死後の世界にそれを約束する。
そしていつ死ぬかわからないからこそ、その先の二つの物語は気にせずに、前者のうちの「幸せになる物語」になるべく、日々を生きることでせいぜいがんばればよいのでありましょう。
だから、「優しさ」を怖がっていてはいけないのだろうと。
そして相手方も「優しさ」を以って臨むべきなのだろうと。
少なくとも、「狼と香辛料」の方で問題となった「優しさ」については。
さて、神田川の方の優しさとの関係如何?
ちょっと疲れましたな。
みなさん考えてみてくださいまし。
特に学生運動の経験がある皆様方。
ろじゃあは残念ながら?その世代からは遥かに後の世代に属するものですから・・・。


|

« ロッテの挑発ポスター中止? | Main | 出版不況と古本市場 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「神田川」と「狼と香辛料Ⅴ」における「『優しさ』が怖い」:

» やさしさが怖くないのは、とてもしあわせなことなんだよ、とK君は言った [企業法務についてあれこれの雑記]
ろじゃあさんの「神田川」と「狼と香辛料?」における「『優しさ』が怖い」を読んで、学生運動の経験なんてかすりもしてない立場でアレですが、神田川について自分がずっと抱いていたイメージを書いてみることにしました。 ろじゃあさんは、なんで付き合っていて相手が優しい...... [Read More]

Tracked on May 14, 2009 09:02 AM

« ロッテの挑発ポスター中止? | Main | 出版不況と古本市場 »