「月刊」という文化を再検証する必要があるのではないか・・・法務組織を考える上でも参考になると思うぞ
このエントリーはろじゃあが夜中にエントリーしております。
前のエントリーでアフタヌーンのことを書いたのだが、これが月刊なのだな。
それにおじさんたちが知らないところで実は
月刊の出版物に若者たちは触れていることを再認識してみるといいと思うのだ。
紙の媒体で月刊大人の出版物の中では月刊誌というものの位置づけは、特に活字中心の固めの領域では結構棲みにくい存在になってきていると思う。
それではなぜティーンとか若者の世界では月刊の出版物がまだその存在が許されているのか。
そもそも不思議ではないかしら?
んで、
ろじゃあ考えてみたのね。
そもそも受容サイドの需要に(←わざとじゃないよ)、月刊ぐらいのペースがちょうどよいというのがあるのではないかと思うのね。
お小遣いの問題もあるし、手に入れる情報というのも多岐にわたり、
それの選別と吟味と賞味にこの一ヶ月のインターバルというのは最適なのかもしれないなあと。
それに適度の次回への期待がそれらの手続きの中で生まれていって。
いくつかゲーム系、ラノベ系、マンガ系の月刊誌を長男から借りて目を通してみたんだけど、それなりに楽しめるし、そのための工夫もものすごくなされているのね。
おまけ的な懸賞もそうだし(全員プレゼントは有償だけどアニメイトで現金で買うよりは心持ち廉価感があり、かつ稀少感も意識されているように思うのね)、元になっているゲームやらラノベやらとの関係もあるのだろうけど、説明の部分で費やされている頁の量も結構あるとともにそれに手間がかけれれていて。
複数のメディアの営業的視点も含まれているからかもしれないのだけれども、もともと提供されているコンテンツ自体も単体のメディアで提供されることを前提としていなくて、ゲーム、ネット配信、テレビ、活字、コミックスといったなかから複数の形でしかも「ズレ」と「個性」も前提となって提供されることを許容しているところがあって。
これらを複数の形で受容するなら、少なくともその量と質とをある程度確保するために月刊という選択肢はあっていいだろうなとも思うのでありまして。
でもこれらのことを視野に入れて編集するというのは、多分活字単体のメディアの編集の方の視点とは相当異なる視点が必要なんだろうなとも思うのですな。
法務の担当者にもゼネラルスペシャリスト的なキャラとスペシャルゼネラリスト的なキャラとスペシャリスト的なキャラがいてもいいと思うのですが、それらをどれかでなければいけないというのもどうかと思うところもあり。
読者の階層化を考えて編集しつつ、それぞれの発展系の選択肢を視野に入れて編集するというのは、やはり
法務の仕事を行ううえでは、そして組織の構築維持管理と人材の育成の姿勢との関係で参考とされるべき姿勢なのではないかとも思うのでありまして。
法務部のスタッフはある意味で自社業務と法務の編集者でありますし、管理職は別の意味で編集者みたいなもんだろうと思うのですな。
いちどこの辺はまたいつもの法務のお友達と相談したいなと思うところであります。
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