哲学が必要なのはわかるのだが・・・
このエントリーはろじゃあが夜中にエントリーしております。
これは先輩から聞いた話。
戦後の新しい枠組みが動き始めた頃というのは、世の中の動きが激しすぎて自分の存在やら自分たちの今後についてどのように考えたらいいのか当惑した方々も多かったはず。
だから、人間の生き方とかモノの考え方について哲学というのがその方向性を指し示すものとして必要とされていたのではないかと思うんだよね・・・という話。
5、6年前に、哲学が必要になってくるんですよ・・・と、やはり同じようなお話をある方から聞いたところもあったりして、
この話は確かにそういうところはあるだろうなぁとは思うわけで。
だが、哲学といえるようなものがどの分野でどの程度必要なのかというのは、なかなか難しいお話なのかもしれないなあと思うところもあるわけで。
環境に関する問題を考えるような場合においても経済合理性を根拠にある施策を妥当と考えるような場合に、他の論拠によりそれが同じ方向感でおなじく妥当と考えられるようになっても、別の場面ではそれぞれの考え方からすると別の結論が妥当とされることで二つの立場が相容れない場合もあるのであって。
それらの場合についても同一の方向間がとりやすいというか同一の方向間を指し示すものがあると楽なんだけどねえ・・・というときに、その論拠となる考え方というのが哲学なのか・・・。
だが、経済合理性という考え方自体も哲学とも言えるし、同じ妥当を導いた別の論拠を提示する考え方も別の哲学ともいえるような場合、さて必要な哲学とは何なんだろうか・・・。
結局、かかることも含めて考えるという営為が必要なのだなということはわかるのだがね。
さて、それで哲学を持っているということになるのか、哲学はもたなければいけないのか。
そのようなレベルの議論が増えていくのか行かないのか・・・。
悩ましい時代でありますな・・・。


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