幾山川越え去りゆかば・・・歳をとったらとったで(苦笑)
このエントリーはろじゃあが夜にエントリーしております。
毎日が当たり前のように思えてるうちはだめなんだな。
もう残りの歳月のほうが、今まで過ごしてきた日々よりも短くなっているいまのろじゃあならよくわかる。
だからと言って特定の目的だけで過ごせるほど日々は甘くはないのだから、それでもろじゃあも毎日をぶつぶつ言いながらいろいろと乗り切っていかないといけない。
そこまでしても、たぶん、いくつかのその何かにたどりつければまだいいのかもしれない。
幾山川 越え去りゆかば 寂しさの 果てなむ国ぞ 今日も旅行く(若山牧水)昔から気になる歌である。
こういうことについては、
ろじゃあはなにかしらないが気にするほうで。
毎日何で生き続けなければならないのか。
それを繰り返してたどりつけるのはどこなのか。
そんなことを考えながら高校時代を過ごしていた気がする。
そんなときにこの歌はいろいろなことをろじゃあに示唆してくれる。
どこにたどりつけるなんざわかるわけないじゃん。
それでも歩いて行くのはなんでなんだろうねえ。
歩みをとどめたくなるのに朝になると歩き始めちまうのはなぜなんだろうね。
そして、ある朝、ろじゃあは気づくのだな。
歩き続けることでまた朝がやってくるじゃないかと。
歩いて歩いて翌朝が来れば、何かが必ずやってくるはずだと。
悪いこともいいこともやってきちまうけれども、たとえ悪いことがやってきても歩いていれば翌朝はまた悪いこともいいこともやってきてくれるだろうと。
歩みをやめてしまえば、悪いこともいいこともやってこなくなっちまう。
だから先はわからんがともかく歩こうと。
少なくとも歩みを自分からやめてはいけないし、
少なくとも歩みを止めさせるように自分をなきものにしてはいけないのだと。
それでもこの歳になると思うんだよね。
実は果てはあるんじゃないかと。
でも、だからこそ歩かなければならないんだろうと。
歩いていれば新たな朝がやってくる分、果ても変わっていくのだろうと。
だからやっぱりこの歳になっても
少なくとも歩みを自分からやめてはいけないし、
少なくとも歩みを止めさせるように自分をなきものにしてはいけないのだと。


Comments
牧水の歌では、この歌も心打たれます。
白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ
Posted by: ひまてん | July 02, 2009 at 03:54 PM