制御できない力は持つべきじゃない:「神様ドォルズ」第1巻より・・・アニメ版第3話までを観て法務的なリスク管理を考える視点との絡みでぐだぐだと(汗)
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夏のアニメについては、友人の某会計士の先生との間では、
「うさぎドロップ」が視聴継続という点では一致しておるのですが、タイトルにあります
「神様のメモ帳」
「輪るピングドラム」
「神様ドォルズ」については、ろじゃあ、改めてコミックスの第1巻から読みなおしております。
というのは、アニメ版の第1話だか2話で、コミックスでいうと第1巻に出てきたやり取りが出てたからであります。
それは
制御できない力は持つべきじゃないという台詞に関係する場面でして。
実際には、
引用させていただきますと、
制御できない力は持つべきじゃないどうもですねえ・・・最近、
それは
力を使うほう
力を使われるほう
相方を不幸にする。
詩緒には
そんなふうには
なってほしく
ないんですよ
(やまむらはじめ『神様ドォルズ』第1巻163頁・小学館)
管理できると思っていたのに管理できないという枠組みのお話と、
実際には管理できるんだけど敢えて管理しない枠組みのお話というのが、なかなか区別がつきにくいお話が増えているのではないかと思うことが多いのですよ。
法務におけるリスク管理のお話については、当然この双方の類型に該当するような経営判断により問題が出てくるケースというのはいくらでも例を挙げることが出来る訳ですよね。
問題なのが、
特定のリスクを管理できると思っているんだけど実は管理できないということに気が付いていない方と、
実際には管理できるんだけど敢えて管理しないという方との関係がどういう立ち位置にあるのか・・・ということなのかなあとも思う訳で。たとえば、
前者が後者の上司である場合とか
後者が前者の上司である場合とか、組織的にはどのような問題が生じるのかなあ・・・とか考えてみていただきたいのですが。
どちらの方が経営判断についてリスクが顕在化した時に問題の処理に困ることになるかというのは・・・なかなか判断に困る問題でもあるとも思いますが、大事なのは
ある特定のリスクが管理できるかどうかについて適切に判断できる当事者がそれを適切に判断できるんだけど敢えて管理しないということが生じないように組織としてリスクを管理していくことなのかもしれないなあと思う訳であります。
その意味では、『神様ドォルズ』はおちゃらけた(←死語かなあ)内容も含まれるのですが(特に原作の方)真面目に世相のいろいろな問題を考える際にもいろいろなことを示唆してくれる内容を含んでいると思います・・・なんてこと考えながらコミックスの再読を正当化しているろじゃあだったりするのでありますな(苦笑)。
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